動物実験に対する社会的理解を促進するために(提言)

 

平成 16 年 7 月 15 日

日本学術会議第 7 部報告

要 旨

1.報告(提言)の背景

動物実験が生命科学、ことに人類の生存と健康維持に直接かかわる医学・医療、薬学などのいわゆる健康科学の分野において不可欠であることは言うまでもない。一方、人と動物の共生という立場から動物実験に対する批判も存在し、そのため欧米では動物実験が著しく制約され医学研究に支障が出ている国もある。また、わが国でも動物の供給が難しくなるなど日本も例外ではなく、動物を科学研究に用いることに対する反対運動は根強い。健康・疾病問題の解決と人類の幸福増進に不可欠な動物実験が、広く社会の理解と支持を得て行われるようにするためにわれわれが成すべきことを検討し、本報告を取りまとめた。日本学術会議は、勧告「動物実験ガイドラインの策定について」( 1980 )、特別委員会報告「教育・研究における動物の取り扱い−倫理的及び実務的問題点と提言」( 1997 )など、 動物実験に関して一連の発言を行ってきた。本報告はその一環としてなされるものである。

 

2.現状と問題点

わが国では、学術会議の勧告を契機として、各研究機関が法規に準拠して動物実験指針を制定し、動物実験委員会を設けて、動物実験を自主的に管理している。この自主管理体制は定着してよく機能しており、わが国の動物実験は科学的にも倫理的にも適正に運営されて、国際的にも高い水準にあると言える。

しかし問題もある。わが国には米国のような全国統一の動物実験ガイドライン(指針)がなく、指針はそれぞれの研究機関が個別に定めているため、規制の具体的基準が外から見えにくい。また、各研究機関が実施している自主管理の内容を客観的に評価検証する仕組みがないため、動物実験が適正に管理されていることを社会に対して説明する説得力に問題が残る。欧米の動物愛護団体からは、日本に動物実験の法規制はないという誤解も招いている。

 

3.報告(提言)の必要性

上記の問題点を改善することにより、動物実験に対する社会の理解を一層促進し、医学、生命科学の発展と人類の幸福を増進することができると考えられる。ここでわれわれは、現在の各研究・試験機関による自主管理方式の客観性を保証し、実効と信頼性を一段と強めるために、1)動物実験の倫理原則を実行に移すときの基準を示す国内で統一された動物実験ガイドラインを制定することと、2)当該ガイドラインの実効を担保するための第三者評価システムを構築することを提言する。ガイドラインの制定にも、第三者評価システムの構築にも広く社会の意見を聞き、透明性の高いものにすることが必要である。

ここに、関係学協会はじめ関係機関に実施への取組みを早急に開始するよう協力を呼びかけるものである。このような自発的な取り組みが学術にかかわる研究者の社会的責任と認識するからである。

 

 

1.はじめに

動物実験が医学はもとより生命科学全般の進歩に必要であり、医療技術や医薬品の開発に不可欠な手段として世界の疾病・健康問題解決に大きく貢献していることは言うまでもない。しかし、そのために動物の生命を奪うことになる動物実験においては、実験を行う研究者に対して常に厳しい倫理が求められる。動物実験を科学的かつ倫理的に実施しなければならないことは、動物実験を必要とする学問領域の研究者は十分に承知している。動物実験に3Rの原則(代替Replacement、削減Reduction、苦痛の軽減Re−finement)を導入することにより、それまで生きた動物を用いて行われてきた実験が培養細胞に置き換えられ、また、コンピュータシミュレーションにより動物モデルを対象とした研究が行われるようになって、使用される動物の個体数も減少している(資料、動物使用数の年次推移参照)。しかし、モデルを作るにしても生体の未知の仕組みを理解することが必要であり、そのためには生きた動物を用いた実験は不可欠であって、今の時点で動物実験を全廃することは出来ない。各研究・試験機関は法規に準拠して設置した動物実験委員会により実験を自主管理し、実験動物学会をはじめ多くの学協会はガイドラインを制定して遵守を求めるなど、絶えざる努力が積み重ねられてきた。その結果、わが国の動物実験管理体制は大学をはじめとする研究機関に定着して実効をあげており、国際的にみても高い水準にある。

このように研究者が自主管理を強め、3Rの原則の遵守に務めているにもかかわらず、動物を科学研究に用いることに対する反対運動は根強い。動物実験そのものを否定する一部の動物愛護主義者すらあり、様々な面で研究活動に支障を来している。この問題に対しては、研究者側と反対運動側の対立を先鋭化させるのではなく、広く社会の理解を求めて必要な科学研究を支障なく実施し得る環境を育て、人類の健康・福祉に貢献するよう努めることが重要であると考えられる。

動物を用いた研究が適正に、かつ支障なく実施されるためには、研究の意義と実施状況が広く社会に認識、理解され、動物実験に関する社会的合意が形成されることが必要である。その点で、現行の各研究・試験機関ごとの自主管理制度は、外部の目には、研究者の都合を優先したもの、客観性の乏しいものと映り易く、十分な説得力を持ち得ないことに問題があると思われる。

日本学術会議はこの問題についての継続的な審議を進めているが、その審議の結果、科学的動物実験と動物福祉の両立を目指す従来からのさまざまな制度的、実体的取り組みを改良し、さらに進んだ仕組みを作ることが必要であるとの認識に達し、以下の提言を取りまとめるに至った。

これまで日本学術会議は「大学等における動物実験について」(1987、文部省学術国際局長通達)の元となった勧告「実験動物ガイドラインの策定について」(1980)を行うなど、従来から動物実験に関して発言を行ってきており、その一環として本提言がなされることは適切と考えられる。

 

2.適正な動物実験実施のためのこれまでの日本学術会議側の取り組み

日本学術会議は動物実験の科学的かつ倫理的実施に関して早くから指導的役割を果たした。昭和55年(1980)、第80回総会の議決により「動物実験ガイドライン」の策定を政府に勧告し、これが端緒となって1987年文部省通知により各大学、研究機関の「動物実験の指針」と「動物実験委員会」が整備され、今日の動物実験管理体制が確立した。各研究・試験機関は設置した動物実験委員会によって動物飼育施設と動物実験を自主管理し、また実験動物学会をはじめとする多くの学協会も動物実験ガイドラインを制定して研究者への周知を図るなど、動物実験の適正な実施のため絶えざる努力が積み重ねられてきた。

平成9年(1997)、日本学術会議「生命科学の進展と社会的合意の形成」特別委員会は報告「教育・研究における動物の取り扱い――倫理的及び実務的問題点と提言」を発表し、動物実験の必要性を確認するとともに、動物実験委員会の強化を求めた。平成14年には機関誌「学術の動向」が特集「動物実験」を組み、動物実験の持つ意味、問題点、取り巻く社会環境などを様々な視点から学術的、客観的に論述し、世に問いかけた。

さらに、第18期(平成13年)から実験動物研究連絡委員会はじめ関係の研究連絡委員会は現行制度の適正化と強化を検討して来た。

 

3.わが国の実験動物および動物実験の管理体制 

実験動物の飼育ならびに動物実験に対する管理は、わが国では、規制の倫理原則を法律(「動物の保護及び管理に関する法律(昭和48年)」とこれが一部改正された「動物の愛護及び管理に関する法律(平成11年)」)で規定し、規制方法を具体的に「動物」に関して示した告示(「実験動物の飼養及び保管等に関する基準(昭和55年、総理府告示)」)と、「実験」に関して示した通知(「大学等における動物実験について(昭和62年、文部省局長通知)」など)にしたがって、各研究機関が自主的に管理する方式をとっている。文部科学省管轄の各大学等研究機関は、通知の指示に従って動物実験指針(ガイドライン)を制定、動物実験委員会を設置し、実験計画の審査・承認、実験実施者の教育などを行って自主管理を実現している。

国際的に見ると、動物を用いる研究の計画を、日本と同様に研究機関内の委員会が審査・承認するアメリカ、カナダの方式と、法に基づいて国が直接審査・承認するイギリス、ドイツなどヨーロッパ諸国の方式がある。いずれの方式を採るにせよ、欧米では全国的に統一された動物実験の基準を設けている点は共通であるが、日本ではこれが設けられていない。統一基準の作成は、科学アカデミーの下部組織(アメリカ)、政府管掌NPO(カナダ)など科学機関が行う国と、EU指令により国内法に反映させるEU諸国など、国による独自性が見られる。

また、欧米では規制の内容を法規に記述しているのに対し、日本では、上述のように法律は基本だけを示し、総理府告示の基準と文部科学省等の通知で具体的に内容を示して、行政指導に従った自主規制により動物実験を管理している。規制の内容は、行政指導により全国的にほぼ同一であり、法律に明文化はされていないが、この方式によって実質的には欧米諸国と同様の基準で動物実験が行なわれている。

文部科学省以外の省庁が管轄する試験研究機関にも同様の管理体制が整備されて高度な動物試験が実施されており、わが国の研究成果は医薬品安全性試験の国際基準の向上等に多大の寄与をなしている。また、実験動物生産業者は、社団法人日本実験動物協会が「基準(総理府 昭和55年)」に準拠して作成した動物福祉の憲章、指針、手引きをもとに実験動物の優れた飼養と保管を実現している。

こうして、日本学術会議の勧告を契機にわが国の動物実験の管理体制が確立してから15年以上の歴史を経、国際的視野からも満足すべき洗練された水準へと成熟を遂げている。国際学術雑誌に研究論文を発表する際には、実験動物の取り扱いが倫理的、科学的に行われていることに対する厳しいチェックがかかっているが、動物実験を用いたわが国の研究結果が広く国際学術雑誌に受け入れられていることは、わが国の自主管理が国際基準を十分に満たしており、動物実験が科学的、倫理的に行われていることが国際的に認知されていることの実績を示すものである。

 

4.わが国における動物実験管理体制の問題点 

このようにわが国の自主管理体制は有効に機能しているが、一方で問題点があることも事実である。すなわち、1)全国的に統一された動物実験ガイドラインを持たない現在の規制方式は、日本に動物実験の規則がないという誤解を国内外から招く点、2)各研究機関による自主管理の客観性と透明性を担保する仕組みがない点、である。これらは、動物実験に対する社会一般の理解を難しくし、自主管理体制の存続を脅かしている。

動物実験ガイドライン(指針)は動物の倫理的扱いを具体的に指示するものであり、動物実験の適正な実施に重要な役割を果たす。米国では早くから全国統一のガイドライン(NIHガイドライン、現ILARガイドライン)が制定され、世界に周知されてきた。わが国では行政指導によって各研究機関がそれぞれガイドラインを作り自主管理に用いているが、内容は全国的にほぼ同じで、NIHガイドライン(現ILARガイドライン)とそれほど変わらず、よく機能している。しかし、それらは個別の機関のものであるため外から認識され難く、そのことが自主規制の具体像を見えにくくする大きな原因となっている。

現行の体制は各研究機関および地方公共団体の裁量に自由度を与えるものではあるが、日本の社会が全体として適正な動物実験を守る体制にはなっていない。具体的には、各地方公共団体が動物実験を否定する人々の批判の対象となり、実験用動物の供給システムの構築に協力することをためらうような事例も多数報告されている。このため現に研究遂行に重大な支障が出ている研究分野もある。(資料、動物使用数の年次推移)

上記のような問題を払拭し、現行の動物実験管理体制を維持しつつ、社会に理解される動物実験の体制を構築することが必要であり、そのために次項で述べる改善策が講じられることが望まれる。

 

5.動物実験管理体制の改善

前項で述べた現行の動物実験管理体制の問題点を改善して、動物実験に対する社会的理解をいっそう促進するため、次の2つの方策を提言する。

(1)統一ガイドラインの制定

動物実験を規制する仕組みの中で、規制の実態を最もよく示すものは動物実験ガイドライン(指針)である。しかし、上記のように、わが国に全国統一のガイドラインは存在せず、各研究・試験機関および学協会が個々にガイドラインを設けているため、それらは外部から見えにくく、また日本では動物実験の法規制がないと誤解あるいは批判される。そこで、国内で統一された動物実験ガイドラインを制定することを提言する。これにより規制の基準を明解に示し、動物実験に対する国内および諸外国からの社会的理解と動物実験に対する倫理的評価を格段に高めることが期待できる。

(2)研究機関の自主管理を第三者的立場から評価する機構の設置

全国統一の動物実験ガイドラインが制定されたとき、それが現行の自主管理機構によって実効が上げられることが重要である。その実効を担保する仕組みとして、各研究試験機関の自主管理が適正になされ、統一ガイドラインの基準が満たされていることを、第三者の立場から評価・認証する機構を設けることを提言する。この仕組みにより、統一ガイドラインの実効を確認するとともに、自主管理の実施の適正性も評価・認証することができ、社会にも理解され易く、信頼性と透明性の高い動物実験管理体制を確立できるものと期待される。

 

導入する第三者組織は、次の骨子の性格を備えたものが考えられる。

1) 任務

認証を求める機関の申請に対し、書類審査と実地審査を実施し、施設の認証、是正勧告または認証の取り消しを行なう。

2) 評価基準

上記の全国統一の動物実験ガイドラインに基づいて評価と認証を行なう。その認証は諸外国の類似認証制度との間の相互認証を目指す。

3) 評価対象

上記の全国統一の動物実験ガイドラインが定める基準項目を対象として評価する。この場合、認証を求める機関の責任体制、管理組織、施設・設備、動物実験委員会、実験計画の審査方法、実験動物の健康、福祉、実験終了後の処置、労働安全管理など動物実験を適正に行なうための要件、などを対象として審査することになると考えられる。

4) 普及と実効性

本案の第三者評価制度は動物実験実施機関の自主的な申請によるものであり、その普及と実効性を高めるためには、第三者評価機関は社会的にも高い評価と理解が得られるものでなければならない。

 

上に提言した 1)統一ガイドラインの制定 および 2)第三者評価組織の構築に当たっては、関係者が一丸となって実現に努めることが必要であり、関係するすべての学協会と関係機関に実施への取り組みを呼びかけるものである。また、このいずれもが高い透明性をもって策定され、社会に対し責任有る仕組みとして作られることが必要である。

 

6 .むすび

生命科学の急速な発展と将来の重要性に鑑み、医学・医療、創薬、環境安全性試験など、国民の健康問題に重大なかかわりをもつ研究領域全般において、動物実験の意義はますます増大し、ことにシステムとしての生物個体を用いた研究の重要性が増している。一方で近年のペットの普及とあいまって、動物実験は一般社会が受け入れに抵抗を感じるところであり、社会の理解を得ることがますます重要になることを認識する必要がある。

科学上の要請と倫理問題を調和させ、動物実験に対する社会の理解を得つつ研究を発展させていくためには、本報告が提言する統一ガイドラインの制定と動物実験の管理を第三者的立場から評価する仕組みが必要である。社会の意見を取り入れ、その理解と支持を得て、医学、生命科学の発展を促進し、ひいては人類の一層の幸福をもたらすことはわれわれ研究者としての社会的使命である。

そこで、以上提案した国内で統一された動物実験ガイドラインの制定と自主管理体制の第三者による外部評価を実現するため、すでに独自の動きを進めてきた関係学協会はじめ関係機関(大学・研究所、企業、関係官庁等)に対し、実施への取組みを早急に開始するよう呼びかけるものである。

 

 

図.動物使用数の年次推移